サラリーマンのみなさん、今日も疲弊していますでしょうか。
お疲れ様です。
僕もサラリーマンです。
疲弊してますよ、連日連日。
その疲弊の原因を考えてみました。
その結果、社員や上司間のコミュニケーションコストがほとんどを占めていることに気づいたのです。
ホウレンソウやら稟議やら会議やら。
今回は、これらの日本のクソ文化について真剣に語りたいと思います。
目次
僕の会社での立場について
まず僕のサラリーマンとしての会社での立場を説明しておきましょう。
簡単に言えば、東証一部上場企業の関連会社の中間管理職です。
もちろん社名は書けません。
99%の日本人が知ってると思うので・・・(笑)
今の企業へは中途採用で入社しました。
当初は当然役職もなく業務をしていたわけですが、割と早い段階で部下と中間管理職の役職をもらったわけです。
この中間管理職という立場で、上(上司)に対しても下(部下)に対しても面倒な業務に追われる毎日です。
日本の企業のスピードを鈍化させるサラリーマン文化
今回の本題ですが、日本の企業文化である縦社会の構造により、企業はスピード感を失ってしまっているような気がします。
何をするにも会議で合議された案が採用され、何の生産性もない会議用の資料や言い訳作りに勤しむ毎日。
クリエイティブとは180%、いや更に一周まわって540%離れた仕事です。
もはや仕事と言って良いかもよくわからないことを毎日朝から晩までやってるわけです。
こりゃ日本から革新的な人物やプロダクトが出にくいわけですよね。
すべての会社がそうだとは言いませんが、スピード感を失わせる要因として、以下のような仕組みがあると思います
- 資料
- 会議
- 業績予測
- 稟議、決裁
以上です。
一つづつ詳しく見てみたいと思います。
資料
次に説明する「会議」と関係のある文化です。
とにかく資料資料。
計画資料、反省資料、会議資料、議事録、日報。
何をするにも、行う前の資料と途中経過と、終わった段階で資料が必要です。
もちろん、顧客に対して提出する資料などはこれには含まれません。
あくまで社内に向けた内輪資料です。
社内資料もすべてが悪とは言いません。 意思決定に必要なものもあります。
でも、自分が提出させられてる資料を考えると、本当に意味のない資料ばかりです。
時間を掛けるのもバカらしいと、適当にエイヤーと作れば、重箱の隅をつつくような上司からの指摘が来ます。
また、資料があることに意義があり、作ったけど内容を見てももらえないようなものまで、本当に毎日資料です。
完全に管理だけの職務・役割であればそれでも良いでしょう。
でも今の時代、プレイングマネージャーがほとんどだと思います。
こんな資料作りで時間を使い、辻褄合わせに疲弊していては意識が顧客や市場に向くはずがありませんよね。
会議
次に会議です。
要点がはっきりしたものや、ブレーンストーミングのようなアイデア出しのようなものは有用でしょう。
ただ、定例的に行われ、その場で議題を発表し議論するような会議では、なにか良い案や問題への対策が出るはずがありません。
事前に課題を伝え、その意見を持ち寄り、進行者が上手くアシストして結論に導くようなスパッとした会議なら良いです。
業績に関わる報告会議などは、業績が良ければその理由をこじつけて適当に説明し、上司もなんとなくそのストーリーが通っていれば納得する。
悪くても何らかの理由をこじつけて言い訳し、「もっと頑張れ」で終わる。
具体的な方策はなく、結局根性論。
上司は経営陣に対して、自分の良い上司っぷりを見せるためになんとなくの指示を部下にしたり、部下は部下でそのことをわかってて適当な報告をすることも多いでしょう。
そもそも、会議とは名ばかりで、ただ経営陣への言い訳報告会に終わってしまったりすることもあります。
また、新規事業プロジェクトの立ち上げなどなにかを決めるときにも、「みんな聞いたね。反対意見は無いね。みんなで合意して決めたことだよ」という責任逃れ的な場になることもしばしば。
こんなくだらない会議は即刻なくした方が時間の節約になります。
業績予測
上場企業は特に、業績の予測を開示している場合が多く、年度の初月からでもその年度トータルの業績の見通しをする必要があります。
業態によりますが、1年も先の業績なんて正確に見通せるはずが無いのです、そもそも。
それなのに、見通しが上がれば「頑張ってるね」。
見通しが悪ければ「他で取り返せ」という理論になります。
不確実性の高い見通しで一喜一憂しているのです。
もちろん、景気や顧客の動向を読み、今後の経営をどうするかを意思決定するために予測という行為自体を否定するものではありません。
しかし、単に株主への開示のために無理やりな予測をしたところで、現場は何をしているのかわからない という状況に陥ります。
決裁・稟議
決裁と稟議というのはほぼイコールの意味合いですが、「こんな事をやります。よろしいですか?」「こんな事にお金を使います。よろしいですか?」 という伺いの事ですね。
とにかく日本はこの稟議という文化がややこしい。
3人も4人も上の立場の人の印鑑をもらわないと実行することはできません。
稟議の内容をとりあえず上司に説明し、上司は更にその上司にツッコまれないように詳細資料を作るよう指示をする。
やっとの思いでその補助資料を作り終え、上司の印をもらっても、更に上の上司に説明をし、更にツッコまれ資料を加える。
その繰り返しでようやく最後は経営陣への説明、、、の段階で「よくわからない」と潰されてしまう。
そんなケースもたくさんあるでしょう。
潰されなくても、途中途中で忖度、折衷案、忖度、、、の繰り返しで、当初のエッジの聞いた提案も、なんだか薄い膜が掛かった平凡な内容として進まなきゃいけなくなる。
最終決裁が降りたときにはクタクタに疲れてしまって、実行に移すときのエネルギーは5割減。
こんな状況では上手くいくはずのものも上手く行かないのも無理ありません。
印鑑を押すことは責任が問われると考え、上司連中も慎重に慎重にマイナス点がつかないようにツッコミどころを探し、「ちゃんとツッコんだよ」という形跡を残したいんですよね。
上場企業はその傾向が強い
このようにスピード感を失わせ、熱をも奪い、企業の雰囲気を停滞させる様々な仕組み。
オーナー企業の中小企業なんかは今回紹介したような文化は少ないでしょう。
その分、社長の一声で一気に動く事ができ、決断も早いです。
上場企業等大企業になればなるほど、また、古ければ古いほどこういう組織になってしまう傾向が強いです。
小回りがきかない企業。
亀のような企業。
その中で育った社員は、自分が上になってもやっぱり同じようなことを部下に強要し、終わらない負のスパイラル。
まとめ
今回は、自分の経験を含めたダメな会社のクソ文化を書いて見ました。
全部当てはまる企業が他にあるのかどうかはわかりませんが、1つか2つは「あるある」と思っていただけるでしょう。
こんな企業に居て疲弊するくらいなら、自分で起業したり転職したいと思う社員が多くなるのも無理はありませんよね。